…気がつくと古代は兄を探して彷徨っていた草原に戻っていた。
兄の姿を探すと、やはり何処にも居なかった。一抹の寂しさとともに込み上げる安堵の気持ちが強風に吹かれて飛んでいった。
「あ!居た居た! …古代艦長ォ〜!」
呼ばれた方向に身体を向けると、土門と雪と他にも数人の生活班員が手を振っていた。
古代はそちらへ駆け寄る。
「探したわ! 古代艦長。佐渡先生が貯蔵室から持ち出した赤ワインを、幻覚を覚醒させる惑星の葡萄酒だって偽ってあなたにも飲ませたっておっしゃって」
「え?あれ、やっぱりただの積荷だったのか?」
「もちろんよ。ここの惑星が見せる幻影は食べたり飲んだりはもちろん、触ることもできないわ。せっかく採取した植物だって、時間が経つと跡形もなく消えてしまっていたもの」
「これ以上、ここに長居するのは良くないな。キャンプを引き上げて、総員ヤマトへ帰還させよう」
古代君、と雪に呼ばれたいのも、自分の願望だったかと思い当たって古代は苦笑した。
「そうだ、雪。君は、その佐渡先生が見たという葡萄を食べたかい?」
「いいえ。それがどうかしたの?」
古代君、と雪の口が続けて言いかけたが、飲み込む仕草が伝わり分かってしまった。ただ離れて交わす視線のなんと切なく甘いことか。
…この惑星ファンタムは女性の気質があるんじゃないだろうか。落ち込んだ古代の思念エネルギーをキャッチし、望む慰めを瞬時に与えてくれたことからもそう感じるが…。
キャンプの真田の元を訪ねると、器材を全て撤収した後だった。
「どうだ、古代。酔いは醒めたか?」
「ええ。酩酊してうっかり葡萄をふたつ、食べるところでした」
「…? …まぁいい。佐渡先生がお前に飲ませた葡萄酒の検査結果が出たぞ」
「知っています。地球から持ち込んだ来客用の赤ワインでしょう?」
古代は取るに足らない、といった感じで軽く受け流す。
「そこからな、実際にシアン化カリウムが検出されたのだ」
「なんですか、それは」
「通称青酸カリ」
「…人類絶滅用の毒じゃないですか!?」
古代は喉元を抑える仕草をするが、吐き気は襲ってこない。
「それがな、ワインが恐ろしく酸化していたせいで、毒性が揮散してしまったらしいのだ。酸っぱくなかったか? その葡萄酒は」
「赤ワインと言うには大分酸っぱかったですけど、葡萄酒と言うならこんなものかって、普通に美味しかったですよ」
「その成分は洗練された状態ではなかったから金属の精錬所で使われていたものがガラス瓶に付着して微量だが混入したのかもしれんな。悪意は、ないと思う」
「なら、すぐに残りも処分します。ですが、」
「なんだ、気になることでも?」
「俺も幻覚を見ました。…佐渡先生が見たという葡萄畑を。そこに実った葡萄は食べても食べても減らないんだそうです」
真田は訝しげに首をかしげた。
「それは幻覚じゃなくて、もはや狂気の沙汰だろう。葡萄の意味するところは、最後に残った一粒を食べると死ぬという不吉な予言だ」
だが、意思の疎通が出来ぬまま、古代達がヤマトへ帰還した頃、同じく見せられた幻覚に激昂したガルマン・ガミラスによって惑星ファンタムは惑星破壊ミサイルを撃ち込まれ、宇宙に散ってしまった。
ヤマトは出発し、古代は一人艦長室で、自分に対して差し出された誘惑を思い描いていた。
庇護していたルダ女王のことを考えても、この惑星を支配するコスモ生命体は女性であり、訪れた者に食べても減らない葡萄を与え続けて虜にし、逃れられなくしようとしたのではないか。
あれは紛れも無く雪、そのものだった。自分を心から慰め、癒そうとしてくれた。ならば毒入りの葡萄酒を酸化させてくれたのも、もしかしたら『彼女』なのではないだろうか?
「まぁ、いずれにせよ、俺が一番凄い幻覚を見た、という予想は外れちゃいまい」
奇妙なことに、一度死んだかもしれない身なら、破れかぶれに進めばいいと、再び未知なる航海を続ける意欲が湧いてきた。
あそこで流されていたら、生命体に獲り込まれ、宇宙の塵となっても永遠の恍惚を彷徨う廃人になっていたかもしれない。
…トントン!
「開いてるよ」
応えると扉を開けて島が入室してきた。
「佐渡先生に毒入りワインを飲まされたんだって? 古代」
「俺も黙って留守番してりゃ良かった」
「そうか? 死にかけた割にはピンピンしているし、惑星に降下する前より顔つきが良くなっていると思うがな」
面と向かって言われた訳ではない。
書類を手渡すときに島はチラリとしか自分の顔を見ていない。
それでも、長年の友人には分かる変化なのだろう。
なんだかそれが無性に照れくさかった。
「あれだけ木っ端微塵にされたら片目をつぶればどうにかなる…なんて、残っていたあの惑星への執着も綺麗さっぱり吹き飛んでいったよ。早速航海計画を練り直そう、島! 今すぐにだ!」
「了解! 艦長!」
艦長のイスから立ち上がった古代は、背中で笑う島の肩に手を回して引き寄せると一緒に廊下へ飛び出した。