葡  萄

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佐渡が、葡萄酒を飲むと幻覚が消えるという話をしていたことを思い出し、古代は真田が兄の守を見かけたという場所へ戻ってみた。

この自然の丘と木々を自分が見ているのは、やはり願望なのだろうか。戦艦の中とか、殺伐とした地球のメトロポリスの風景ではないことが自分らしいような気もする。

生前の兄、守の姿を思い出してみたが、幻覚は現れない。あの葡萄酒のアルコール度数は意外に高いのか、頬に手を当てるとまだ少し火照っているようだった。

移住可能な惑星を発見したことで、少し浮かれてしまっていたのかもしれない。ダメな部分に片目をつぶってでも、この惑星で妥協したい。そんな気持ちもあったからだ。

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「古代君。バッカスの妖精が差し出した葡萄酒を飲んだって聞いたけど、本当?」

振り返ると艦内服を着た雪が立っていた。声が聴こえるから幻ではないはずだが…。

「ひとりか? 雪。生活班で行動するなら必ず班員の護衛を付けろと言ってある筈だ」

「古代君と一緒ならあなたが護衛になるじゃない」

ふたりきりになるのは意識して避けていたはずなのに、どうしたんだろう。

「先にヤマトに戻っていろ。俺はまだ少し、酔い覚まししてから帰る」

そういい残して向き直すと、一面に葡萄畑が広がっていた。古代は自分の腕にするりと腕を回してきた雪の身体の重みだけが現実だと信じようとした。

「…これは。君の幻覚か?」

「どうかしら。葡萄は最も古い栽培植物のひとつなのよ。旧約聖書の創世記よると、洪水から逃れたノアが最初に畑に植えたのがこの葡萄だと言われているの」

ここが、災難を乗り越えた地球人類にとって最後の楽園になってくれたらいいと古代は発見した瞬間から熱望していた。だが、その希望は打ち砕かれつつある。

…俺は葡萄酒を飲んだ。
人類最期の希望を、飲み干した。
それは酷く背徳的な味がして、ひとときの浮世の辛さを忘れさせてくれる酔いに、似ていた。

古代は腕に絡みつく雪の腕を外して正面から腰を抱いた。自分を見上げる雪の瞳が甘く揺れる。

「俺が、心の中で思っていることが、分かるかい…?」

『…君に、抱かれたいな』

その甘やかな雪の声は耳から聴こえたのではなかった。直接、古代の脳に話しかけられていた。だが、酩酊する古代には、その違いは分からなかった。

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…ピチャン…と、雫が滴り落ちる鍾乳洞の奥に古代は雪の身体を横たえる。そこだけ白く柔らかな膜が張られて、ベッドの代わりになった。

目を閉じて開ける度に場面が転換するのだ。自分が心に描いたことや、願望がすべて具象化して目の前に現れる。この鍾乳洞の奥の閨が古代の幻覚なのか、雪の幻覚なのか、もはや分からなくなっていた。

自分の弱さが見せる幻覚に誘われて、雪を抱くなんて。
真田に知られたらきっと冷たく責められるだろう…。
それでも冷徹に任務に徹することが難しく、ひと時の酔いに身を任せてしまいたい日だってあるんじゃないのか?
だって自分はちっぽけな人間だし、地球を背負うのは重過ぎる。
結末がハッピーエンドになるならいくらだって陽気で明るい艦長を演じられるけれど、目的地が何処と定まっていない分、最初の航海より精神的にはハードだった。

艦内服を脱ぎ捨てて裸になると、そんなしがらみまでが、身体から離れていくような気がする。一方で、こんなことをしていてはいけないという自我の囁きも聴こえてくる。だがその羽ばたきは小さかった。

白い肌を惜しげもなく晒した雪の身体に抱かれていると安心する。首筋の匂いを嗅ぎ、唇ではなく鼻先で肌を滑らせ鎖骨に軽く口付けた。

ただそうしていたかった。
猛々しい高ぶりで雪の快楽を性急に追い上げるような行為ではなく、ただこうして裸の自分自身を慰められたい。

「私もね、その葡萄の実を食べてみたのよ」

「…え? そうなのか? なんともなかったか、身体は」

「ええ。その葡萄の房がとっても不思議で、食べても食べても減らないの。いつまで経っても食べられる不思議な実なのよ、ここの惑星のものは。すごいでしょう?」

食べても食べても実が減らない葡萄で作られた、葡萄酒を飲んだ。
だからなのか、酔いが醒める気が全然しないのは…。

「だから私のことも、食べて、古代君」

雪は、胸のふたつの丘にツンと実る果実で古代を誘う。

これを口に含んで食べてしまったら、きっと制御が利かなくなってもっともっと雪のことが欲しくなる。

これは酩酊だからと言い訳をして、進むべき方向を見誤らせてしまう。

「いいんだ。こうしていたい…何も考えずに、ただひと時君が俺を抱いてくれたら、それだけでいい」

「身体の中から、包み込むように抱いてあげたいの。ここだって入りたがっているわ」

素肌だけになってふたりの絡み合う太股の間で所在無げに揉まれていた古代の性器に雪は手を伸ばす。その華奢な手に握られると質量が増した。その手をやんわりと外して握り、可愛らしい顔を覗き込む。

「分かってる。こうしたいと望んだのは俺だ。…だから、これは俺の幻覚だ。違うかい?」

雪の顔をした『何者か』は、艶然と微笑むと、姿を消した。

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素材:Mako's
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